第2話:悲劇の始まり(2)

前回のSTORYはこちら▶悲劇の始まり(1)

オフィスをノックすると、いつものように教授が出てきてこういった。


「紙とペンを持ってきたください。ここでは何ですから、他のお部屋に行きましょう。」


そういうと、セミナー室に通された。

セミナー室で腰かけると先生は急にこう話を切り出した。

「今回は、卒業させることはできないことにしました。あと、申し訳ないのですが、決まっている大学の講師のお話はお断りしてください。今のあなたの学力では教えることはできないと判断させて頂きました」



私は頭が真っ白になった。

これは ア・カ・ハ・ラ じゃん!!!
(アカデミックハラスメントの略)

教授には何年もの間、指導とはいえ、厳しい言浴びせられてきた。だけど私の目標は、

学位をとること
大学の非常勤講師になること

私はゴールだけを目指して、この数年は努力し、耐えてきた。それなのに・・・


涙は女の武器!


というわけではないが、今日という日ばかりは泣かずにはいられなかった。


泣きじゃくる私を見て、教授は少し控えめにこう続けた。

「もし僕の話に納得できない!異論を唱える!というのなら、今からテストをしましょう。それが満点ならば、ぼくの言ったことは撤回します。」

え?今この状況で?準備もしていないのに?!どうせ無理にきまってる。また解けない問題でもあれば、ネチネチ言われるに違いない。

そう思うと試しにテストだけ受けてみようという気持ちすらなれなかった。

泣きながら、首を横にふると、教授は

わかりました、では卒業できないということでよろしいですね。それではすぐに大学のほうには連絡をして、講師の話はお断りしてください。


納得できなかったが、学位のために大学に残る以上は受け入れるしか方法はなかった。

とりあえず、謝りに大学にいってきます。先方にはなんてお伝えすれば良いですか?4月からのお仕事でしたので、どのような理由で説明すれば良いのでしょうか。


そう尋ねると

大学に行かないでください。どうせ EMU さんのことだから、直接会うと本当のことを言ってしまうから、「家庭の事情で。」と理由をメールで伝えてください。そういえば、相手側はそれ以上は聞いてこないですよ

はい


そう返事をしたものの涙が止まらず、泣き続けた。どれぐらい泣いただろうか。30分だったか1時間だったかわからないが、そのまま永遠に泣き続けるわかけにもいかず、教授に謝りを入れて、その場を後にした。


帰り道でも思い出すと、涙が出てきて、このまま家には帰りたくない。

学位取得を何よりも楽しみにしていた両親のことを思うとさらに胸が痛んだ。合わせる顔もなくそのまま東京に帰ったばかりの妹のところに向かった。

東京に着くころには、気持ちは少し落ち着いて、涙は止まっていた。

普段と変わらないように、会話をしたつもりだが、いつもと違う様子の私に

どうしたの!?何かあったの!????


妹の優しい言葉にまた涙があふれ出して、また泣き出してしまった

卒業できなくなった

それ以上は言葉に出来ずに、その日はただただ泣いた。


泣き疲れて涙も枯れた次の日、私は仕方なく重い腰をあげて、就職先の担当教官へメールをした。

相手側は困った様子だったが、言われた通り”家庭の事情で”という理由なので、深くは追求されなかった。

これで、学位取得目前として留年が決定され、せっかく決まった非常勤講師への職を失い、空虚感でいっぱいになった。


気力を失った私は、休学することにした。もちろん教授には反対されたが、気力がもたないので、1年間休学させてください。とお願いした。


気を病んだ私はお酒を飲んで現実を忘れた。

卒業できていない事に対する胸のつかえはあったものの、日々勉学に追われ教授からのプレッシャーに押しつぶされそうな毎日を過ごしていた私は、大学を離れて開放的な気分を味わった。

現実を忘れて自由に暮らしていると、 卒業することだけがすべてじゃないとまで思えてきた。

No Money?

No job??

Too much bad news???

これってお姉ちゃんの歌じゃん!!笑

これは笑うところだったが、当時の私はぜんぜん笑えなかった。

そう、ここから私の転落人生が始まるのであ~る!


今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

次回のSTORYはこちら▶運命の出会い

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